「僕はとにかくテレビの世界で仕事がしたかった。そのために、中学3年のときに必死で親を説得し、故郷の群馬県を一人で飛び出してきたわけですからね」

人のやらないことをやる

そう決めてからは、とにかく誰もやっていないことをやろうと考えました。レポーターの仕事にしても、おいしい仕事やカッコいい仕事はすぐに埋まってしまうけど、そうじゃない仕事は意外と空いている。だったら、そういう仕事をすべてやらせてもらおう。そして、ひとつひとつの仕事で結果を出していけば、何らかの答えが出るはずだと。

たとえば、ある番組のレポーターをやって評判が良ければ、次はスタジオに呼んでもらえるかもしれない。そこでさらに評価されたら、スタジオのレギュラーになれる可能性もあるだろう。そんな思いでひとつひとつの仕事に取り組んでいった結果、5年後にはレギュラーが14本まで増えたんです。

その中で、僕が身に着けたのが「等身大」「自然体」のスタンスです。それもまた、当時はまだ誰もやっていない新しいスタイルでした。今でこそ、バラエティ番組と言えば、タレントや芸人さんたちが街中に繰り出して、その場で思いつくままにコメントしていくスタイルが当たり前になりましたけど、僕がテレビタレントになった90年代は、テレビ番組は作り込んでいくのが当然の時代でした。

会議を重ねて、綿密に脚本を練って、台本通りに本番に臨む。そんな常識を破ったのが、92年から約8年間、松本明子さん、飯島直子さんと一緒にレギュラーを務めたバラエティ番組『DAISUKI!』です。

たとえば、飯島さんが「今、家を探しているの」と言えば、番組でも物件探しをしたり、松本さんの結婚が近いときには「じゃあ、挙式をあげられそうな教会を回ってみよう」と、その時々で、自分たちが興味のあることを柔軟に取り上げていきました。当時は「タレントがテレビで遊んでるだけ」って批判もされましたけど、遊ぶなら本気で遊びをやってみる「等身大」のスタイルが、あの番組を通じて僕の基本になったのです。