テレビタレントの肩書にこだわる理由
僕が芸能界でデビューした頃は「一つの道を極める」ことが美徳とされていた時代です。そんな中、情報番組やクイズ番組の司会をするかと思えば、ロケで楽しそうに遊んだり、時にはドラマや歌番組に出ていたので、「軽い」「節操がない」と批判されたこともありました。それでも僕はテレビタレントという肩書にこだわりがあり、この道を極めたいと思いながら、現在も仕事をしています。
とはいえ、テレビタレントになったのは、実は苦肉の策でした。17歳で渡辺プロダクション(現・ワタナベエンターテインメント)の新人オーディションに合格、歌手としてデビューしたけれど鳴かず飛ばず。じゃあ芝居をやってみるかとドラマに挑戦しても、いまひとつパッとしない。
そこで、当時のマネージャーから「これからの時代はバラエティだ。お笑いをやってみないか?」と言われて、同じ事務所の松野大介さんとコンビを組んで、ABブラザーズとしてデビュー。最初の3年間はよかったものの、ダウンタウンやウッチャンナンチャンたちの「お笑い第3世代」が出てきたら、あっという間に人気が失速してコンビを解散。それが1992年、僕が25歳のときでした。そこから、あらためて自分のスタイルを1から創り上げていこうと考えたときに、テレビタレントとしてやっていこうと決めたんです。
もし、僕が「絶対に歌しか歌わない」「お笑いしかやらない」人間だったら、とっくに消えていたでしょう。でも、僕はとにかくテレビの世界で仕事がしたかった。そのために、中学3年のときに必死で親を説得し、故郷の群馬県を一人で飛び出してきたわけですからね。一般に、芸能界を目指して上京して来る人は、オーディションに受かったとか、将来の見込みがあってスカウトされたというのが常でしょう。でも、僕の場合は、誰からも呼ばれず勝手に出て来ちゃったわけだから(笑)、何もなし得ずに、おめおめと帰るわけにはいきません。歌手も俳優もお笑い芸人もイマイチだったけど、「テレビが好き」な情熱だけは誰にも負けない自信があったので、テレビタレントとしてサバイバルして行こうと決めたんです。