何も持たないほうがいい

こんな風に実家の処分を先頭に立って進めている早紀さんですが、本当はきょうだいがいます。ただ、県外在住で、体調が思わしくありません。最近ようやく、実家を処分する話が親族間でまとまったので、早紀さんが不動産屋に連絡し、売却話を進めている、というわけです。

実家の墓も、いずれ墓じまいをする必要があると、早紀さんは考えています。本家の墓ですが、末裔は早紀さんだけ。実家の処分が終わったら、しかるべきタイミングで自分が閉じなければと、早紀さんは覚悟しています。とはいえ、本家ゆえ、墓には代々の先祖ら10数人も眠っています。墓じまいは1基200万円ほどかかり、埋葬されている人の数によって金額が高くなる、と噂で聞きました。檀家のお寺には、恐くて、とても値段を聞けません。「まだ、先でいいか、って」

そんな風に、実家や墓の処分にもお金がかかる、という現実に直面するにつけ、早紀さんは、何も持たないほうがいい、との考えを深くしています。不動産を持ったら場所に縛られます。でも、遠方にいる親族に不測の事態が起きて、早紀さんが近くに引っ越さないといけなくなるかもしれません。彼らのことがあるので、「私は、いつでも動けるようにしていたいんです」。

『老後の家がありません』(著:元沢賀南子/中央公論新社)

「それに、例えば、私がマンションを買ったとしたら、私に何かがあった時には、その部屋は親族が相続することになります。家なんか買っても、親族の負担になるだけ。残すなら、現金で残さないと。だから、むしろ、モノは何も残さないようにしないと、って思います」

モノが残れば、相続人には、維持管理か処分をする義務が生じます。持ち続けるにせよ売るにせよ、手間と時間がかかります。相続財産が親族に負担をかけるような事態は避けたいのです。自分が何歳まで生きるか分かりませんが、自分の老後を憂えたとしても家を買う気にはなれない、と早紀さんは言います。