将来の生活設計なんて考えもしなかった

もともと、史子さんは日本で美大を卒業。就職はせず、アーティスト一本でやってきました。作品を作っては、個展やグループ展で発表する。そのために派遣労働やバイトで稼ぐ。週に3日働き、残り4日を作品制作に充てる、といった具合でした。展覧会の前は1ヵ月ほど制作に集中し、終わると土日まで単発バイトを入れました。学校で美術の非常勤講師をしたこともあります。

アートは労働生産性とは無縁の世界です。多くの時間を費やしたからといって良い作品が出来るとも限りませんし、せっかく作っても失敗することもあります。30代は自分の作品を作るのが第一。作品制作を中心に生活も思考も回っていて、将来の生活設計なんて考えもしませんでした。海外雄飛も、あくまでアートのため。「普通の人は、老後のことって、30代くらいから考えるらしいね。私は全然、だったけど」と、史子さんは苦笑します。

幸いなことに、実家は親の持ち家です。母はずいぶん昔に亡くなり、父も他界。会社員で独身の妹(56)が、その一軒家を維持しながら、今も独りで住んでいます。父はのちに再婚しましたが、お相手はいま施設暮らしです。父の後添えとも関係は悪くありません。なので、老後に帰国しても、史子さんには帰る実家があります。妹にも、「将来、帰るかも」と伝えてあります。一緒に住むつもりで、妹も待っていてくれるようです。

『老後の家がありません』(著:元沢賀南子/中央公論新社)の書影
『老後の家がありません』(著:元沢賀南子/中央公論新社)

「年を取ったら、姉妹で助け合って生きていこうね、年金で、って言ってる」

ただ、日本にいない史子さんは、当然ながら、日本政府の用意した「老後資金準備のための施策」の恩恵には、まったくあずかれていません。iDeCoもNISAもできません。投資は何もしていません。お金がなくて生命保険にも入りませんでした。今から入ると掛け金が高いだけなので、もう入りませんが。個人年金も掛けていません。がん保険は入ったほうがいいと薦められますが、いまだ入っていません。