国民生活への影響

それでは霞が関が機能不全に陥った時、国民生活にどういう影響が及ぶのだろうか。

おそらく、多くの国民は政治がカネの問題で空転に空転を重ねても日本という国が動いているように、官僚がモチベーションをなくして、すり切れた状態になったところで、大きな影響など及ぶものかと高をくくっている。

1990年代半ばくらいまでなら、政治や官僚がどれだけ機能不全に陥っていても、経済が自動的に成長していて国民生活には何ら影響がなかったが、今の時代は果たしてそれですむだろうか? ここでは三つの事例をあげてみる。

まず、官僚が疲れ果て誤字脱字などの些細なミスを連発する、そんな事例からいこう。

たかが誤字脱字じゃないかというが、国民に義務を課す法案のミスなら国民生活に大きな影響が及ぶ。

例えば、鳥インフルエンザが近い将来猛威をふるったとしよう。強毒性で言えばコロナの比ではないことを考えると、マスク着用を「義務化」すべきだという結論になったものの、仕事で疲れ果てていた現場の官僚が「努力義務化」と間違って法案に書き込んだ挙げ句、愚鈍な国会議員がチェックしないままに、この法案が成立するとどうなるのか?

「義務」と「努力義務」ではたった二文字の違いだが、中身は雲泥の違い。そこらじゅうでマスクをしない人間が続出で、あっという間に感染症が広がっていくが、法案を修正するためには次の国会を待たねばならない……。