誰が実務を担うのか?

最後に、官僚が激減して事務能力、交渉能力、調整能力が地に落ちた場合、誰が実務を担うのだろうか? その答えは、国会議員と言わざるをえない。

実際、民主党政権の時には国会議員が自らすべての仕事をこなそうとした。その結果、何が起きたかはご承知の通り、混乱を極めた。世の中で自分が一番エラいと思っていて、他人と和して自分を殺すことが苦手な人間が仕事を進めるとどうなるのだろうか?

最悪なのは、霞が関が崩壊するのを食い止めるべき国会議員にその自覚がまったくないことだ。受験秀才の官僚は言われたことを素直に聞く羊だと思っている。

自分たちにはパワハラが適用されないこともあって、恫喝すれば言いなりになると思っており、官僚が激減する未来に対する危機意識はゼロに近い。

国会議員だけではない。究極的には国民こそが官僚の主人ということを考えると、国民にもそんな自覚があるとは思えない。

岸田内閣になってからしきりと「人的資本」という言葉が叫ばれるようになった。富を生み出すのは優秀な人材であることから、人的資本こそが経済の鍵を握るという理屈だが、翻って、日本全体にそんな意識が根付いているだろうか。著者は疑問に感じてならない。

※本稿は、『没落官僚-国家公務員志願者がゼロになる日』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。


没落官僚-国家公務員志願者がゼロになる日』 (著:中野雅至/中公新書ラクレ)

「ブラック霞が関」「忖度」「官邸官僚」「経産省内閣」といった新語が象徴するように、片や政治を動かすスーパーエリート、片や片や「下請け」仕事にあくせくする「ロボット官僚」という二極化が進む。地道にマジメに働く「ふつうの官僚」が没落しているのだ。90年代以降、行政システムはさまざまに改革され、政治主導が推進されてきたが、成功だったと言えるのか? 著者は元労働省キャリアで、公務員制度改革に関わってきた行政学者。実体験をおりまぜながら、「政官関係」「天下り」「東大生の公務員離れ」等の論点から“嵐”の改革30年間を総括する。