国民はどういう形でその影響を実感するか
霞が関の機能不全を導くのは、大まかに次の四つの要素だ。
まず、現職官僚のモチベーションがガタ落ちであること。かつてのような世間からの敬意もなければ、出世スピードもエリートと称するにはほど遠く本省課長にさえ栄達できない。
その一方で、仕事が激増するばかり。部下は増えない。酷使されるだけの存在に成り果てた官僚には働くモチベーションがない。それは何より若手官僚の離職率の高さに表れている。
二つ目は、労働条件が過酷すぎて、優秀な頭脳を生かし切れていないことだ。官僚の最も重要な役割は政策の企画立案だが、相変わらず、国会答弁の作成や調整業務に追われていて、知的業務に割く時間がない。
その一方で、官僚の能力が劣化している可能性も捨てきれない。
まず、DX(デジタルトランスフォーメーション)だ。デジタル庁の職員の多くが民間からの出向であることからわかるように、霞が関の生え抜き官僚にはDXを進める能力はない。東京五輪やコロナ禍で行われた事業では電通などの民間企業に多くの業務が委託されただけでなく、そこでさまざまな不祥事が発覚したが、これも霞が関が自ら巨大イベントを仕切りきれないことを露わにしている。
歪んだ官邸主導の弊害が三つ目だ。
官邸主導自体は求められることだが、安倍政権で問題となったように、首相の取り巻きである官邸官僚からインフォーマルに指示が出るなど混乱も多かった。何より人事権を握られた官僚は萎縮した挙げ句に、やる気を失っていった。
最後は、優秀な若手官僚が入ってこないことだ。東大生が減少するから官僚の質が下がるというのは短絡的であるとは思うが、志願者数が減少すると人材の質が低下するのは事実でもあるだろう。