家族のいない私にとって、唯一無二の存在なのだ…(写真はイメージ。写真提供:photoAC)
時事問題から身のまわりのこと、『婦人公論』本誌記事への感想など、愛読者からのお手紙を紹介する「読者のひろば」。たくさんの記事が掲載される婦人公論のなかでも、人気の高いコーナーの一つです。今回ご紹介するのは福岡県の70代の方からのお便り。両親が他界し、天涯孤独となったとき、心の支えとなったのが通いの猫たちだそうで――。

フーテンの彼と

2年前、両親が相次いで他界した。私は一人っ子で未婚。頼りとなる従姉妹たちもみな遠方にいるため、天涯孤独になった思いでしばらくの間は呆然とし、不安にさいなまれた。母は亡くなる少し前から、「将来は老人ホームなどに入居すれば、安心できるし寂しくないよ」と話していた。けれどいまさら知らない人と付き合うのも嫌だ。

結局、両親と住んでいた家に現在も残っている。広くなってしまったのは寂しいが、わが家に毎日通ってくる猫がいるのだ。母が健在だったころから姿を見せていた可愛い白猫。家猫にしようと試みたが、もともと野良の成猫だから、フーテン暮らしをやめる気配はない。

一時、行方不明となった時はずいぶん探しまわった。しばらく経って再び姿を見せた時は、「この子のためにこの家で頑張ろう」と誓った。家族のいない私にとって、唯一無二の存在なのだ。

やがて彼も老い、何度も動物病院に連れて行ったり薬を与えたりしたが、去年の晩秋、ついに虹の橋を渡ってしまった。

だが彼にはこの1年で、黒猫の相棒ができていた。いつも2匹で仲良く並んで寝たり、お互いに毛づくろいをしたり。晩年は寂しくなかったのだと救われた気持ちになる。不思議なことに、彼が亡くなる少し前から、若い猫が姿を見せ始めた。今では黒猫と若い猫が2匹で仲良く過ごしている。

私は毎朝毎夕、白猫の写真に声をかける。「おばちゃんももう少し頑張ってあの2匹にフードを与えていくね」と。

老体に鞭打って買いものに出かける日々だが、かえって私のほうが猫に生かされているように思う。


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