「復活唱歌」ORIENT RECORD、1914年
●日本初の〈歌う〉女優・松井須磨子《大正3年》
芸術座の舞台『復活』で須磨子が歌った劇中歌「復活唱歌」は2万枚を売り上げる大ヒットに。マイクが発明される以前の作品で、無伴奏アカペラで吹き込まれている(「復活唱歌」ORIENT RECORD、1914年)

 

1914(大正3)年、日本でヒット曲が生まれます。日本最初の《歌う》新劇女優・松井須磨子さんの「復活唱歌」(通称「カチューシャの唄」)です。

当時はマイクがなく、録音機につけられたラッパに向かって直接吹き込む方法。雑音も多く決して良い音質ではありませんが、歌い手の息遣いをすぐそばに感じられる臨場感が魅力です。

 

三浦環「來るか來るか」NIPPONOPHONE、1921年
●日本初のレコードレーベルが誕生
「NIPPONOPHONE」のレコード収納袋には、蓄音機に耳を傾けるビクター犬に対抗し、大仏が耳に手を添えているイラストが。作品は日本の声楽家第1号・三浦環のもので、この頃はピアノ伴奏もあり(三浦環「來るか來るか」NIPPONOPHONE、1921年)

 

ポータブル蓄音機
●持ち運びができるポータブル蓄音機が主流に
蓄音機と言えばラッパ型がイメージされるが、実は1930年代からは箱型のポータブルが広く普及した。当時はピクニックに持っていくのが流行ったそう

3へつづく