お骨を「ポトン」と
勤めている大学近くの葬儀社と契約しておいたので、通夜から火葬までの間は、葬儀社の施設に母のなきがらと寝泊まりしました。葬儀場は使わず簡素な家族葬。母のお棺の中には、自分たちで折った折り紙を入れました。それも、供養の一つの形だと思います。
お坊さんも呼ばなかったので、出棺の際はインターネットで般若心経を調べ、それを見ながらみんなで唱えました。
一番大切にしたのは、母の句集を開いて、家族で読む時間です。たとえば私が大学に入ったとき、母はこう詠みました。
子には子の夢を羽ばたかせて鳥雲に
一流に少し外れて入学す
どちらも、母親の偽らざる気持ちでしょう。そんなことを語り合いながら母を思い出すのは、いい時間だったと思います。
母の遺骨は福岡市郊外のお墓に納められましたが、その後、このお墓すら維持するのが厳しくなってきました。私は21年から奈良を離れて東京の國學院大學に奉職しているので、年に4回、福岡まで行ってお墓参りと掃除をする負担に耐えられなくなったのです。
そんなわけで、小さなお墓もしまいました。そこに納められていたお骨は、同じ霊園の合同供養塔に納めることに。つまり私の代で、二段階の墓じまいを行ったのです。
ご先祖のお骨は袋に入れて、合同供養塔の納骨室にポトンと落としました。それがなんとなく面白かった。
同行してくださった和尚さんから、「まだまだ空きはありますから安心してください」と言われたとき、あぁ、自分も最後、こうやってポトンと落ちていくんだ、それもいいなぁと思いました。