上野さんの祖父が建てた二階建ての「上野家累代之墓」(写真提供◎上野さん)

語り続けて供養する

もし私が、家業の洋品卸業と店舗を継ぎ、福岡の地域社会の中で生きていたなら、お墓も維持できたでしょう。しかし、私はその地を離れる人生を選んだ。

わが一族を見渡してみると、親戚のなかで、跡取りが絶えている家がいくつかあります。いわゆる「絶家」です。昔ならば、絶家しないよう養子をとり、将来の墓守も確保したわけですが、今やそんな時代ではありません。

家のお墓の継承は、家が子孫に継承され、なおかつ彼らが地域に居住していることが前提となっています。しかし、そういうかたちで地域社会に生きている人は、今の日本ではもはや少数派となりました。

なかには、「墓じまいをする人は信仰心や先祖を敬う気持ちが薄いのだ」と非難する人がいるかもしれません。でも、預かっているお墓を荒れさせてはいけないという気持ちが根本にあるからこそ、墓じまいの選択をする場合もあるのです。

確かに、上野家のお墓は縮小の道を辿りました。しかし私は、母の詠んだ俳句を今も100句以上覚えているし、母のことを本に書いたり講演で話したりもしています。そうやって語り続けることが、何よりの供養だと思うからです。