私はオバさんになってしまった

若い頃は週末になると、朝までカラオケかクラブで友人たちと遊んでいるのが恒例だった。それが40代半ばを迎えたあたりから、カラオケは一人で行く。「今日は休みだ」と決めた日は昼間のフリータイムで、酒と弁当を持ち込んで5時間くらいは平気で居座って、歌う。

(写真はイメージ。写真提供:photoAC)

実は森高千里の『私がオバさんになっても』は、20代から私の十八番だった。運動神経はすこぶる悪いけど、振り付けを覚えることだけはなぜか得意だった10〜20代当時。もちろん、あの独特な動きの振り付けを完コピしていた。

なんとなく覚えただけなのに、社会人になり、二次会のカラオケでこのワザが意外にも大活躍。他にも松田聖子、松浦亜弥といった往年のアイドルの振り付けもマスターしていたので、カラオケで(自分で言うのもあれだけど)一躍人気者だった。年末になると忘年会のお呼ばれで忙しかったし、「すげえ面白い編集者がいる」と噂を聞いたライターさんがわざわざ、カラオケを見に来てくれることもあった。そんな私だからこそ、森高には特別な思いがある。

カラオケボックスに入室、『私がオバさんになっても』を入れる。大丈夫、私は森高よりは年下なんだもの。歌えるはずだわ。

そう思い込んで挑んだ数年ぶりの1曲は、死闘だった。まず曲に振り付けが追いつかないし、動きがスムーズではない。歌って踊って、を同時に進行させると、息切れがすごい。自分の体力を計算もせず、駅の階段を駆け上がってしまった“うっかり徒労感”が波のように押し寄せてくる。

「かっこいいことばかり言っていても歳を経ればお腹が出てくる」

という趣旨の歌詞の端端を噛み締めながら、フルコーラスを終えた。うっかり足を踏み外したら、骨折もするかもしれないオバさんだ。久々に歌い踊った得意だったはずの一曲は、期せずして(?)命懸けになってしまった。