京都には「人間的な暮らし」がある

会社帰り、夜遅くに自宅の最寄り駅で電車を降りると、周囲は真っ暗です。商店などの灯もなく、月が見えます。「真っ暗~。あ、お月さま~、って思うんです」。

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遠くには京都を囲む山々。治安はいいので、「お月様がきれいだなあ」と、自然を感じながら歩いて帰ります。会社までドアツードアで1時間半近くかかりましたが、それでも、京都に住んで良かったと思いました。

「ようやく言文一致した、っていう感じ。落ち着くんです」と、志帆さんは喩えます。「暑いな~、寒いな~、ああ生きてる~って思うんです」。かつて東京にいた時は、考えていることと、やっていることとが一致していなかった、言っていることやしたいことと、実際の行動とがちぐはぐだった、理想と現実がかけ離れていた、と言います。

けれど、京都で暮らして初めて、したいことと、していることを、一致させることができました。東京では不可能だっただけで、京都でなら可能だと分かった、ということでしょう。

「もちろん、東京には何でもある。便利だし、すごい。だけど、東京は何でも『お金』。お金があればなんでも買えて、解決できる。お金がないとできない。東京には経済と文化はあるけど、のんびりできる自然はない」

「京都だと、自転車で行ける範囲に、文化も自然もある。あの森何の森?って思ったら下鴨神社だったりとか。めんどくささも含めて、お金だけじゃない価値観が、ここにはある。基本、のんびりしてる。東京とは文脈が違うところだと感じる」

ひとことで言えば、京都には「人間的な暮らし」がある、ということ? そう、と志帆さんは肯定します。でも、京都は独自のルールがあって、よそ者は住みにくいとも言われますが?

「もちろん、私はこの先何年京都に住んでも、よそ者。一生、京都人にはなれない。それはしょうがない。だって、京都に生まれ育った人たちは、ずっと何世代も、同じ場所で、同じ顔ぶれのまま、自分たちのコミュニティーを守ってきたんだから。そうしないと共同体が守れないから」