京都の人はフェアで民主的

一方で、「学生さんと旅行者の多い町だから、京都は住みやすい」とも、志帆さんは言います。どんな時間に何をしていても大丈夫。京都の人たちは、よそ者に慣れていて親切だからです。「親切な感じが、ほどよくていい」と、志帆さんは嬉しそうに説明します。

こんなことがありました。引っ越した日、初めて、近くの商店街に繰り出した時のことです。肉屋の店頭に、大勢の人が並んでいました。何だろうとぼーっと眺めていた志帆さんは、「あらあなた、頼むなら早くしないと」と声を掛けられました。見知らぬ、40代くらいのきれいな女性でした。

聞けば、そこはコロッケなど揚げ物が評判の店で、揚げ物を注文するなら6時まで、あと5分しかない、というのでした。「ああ、ここは生活していける、と思った」と、志帆さんは振り返ります。

初めての週末には、鴨川の川原を一人で歩いて花見をしました。コロナで、宴会が禁じられていた時です。女の子が一人で自転車で来ていたり、女性が一人でワインを飲んでいたり。ギターを演奏している人もいれば、尺八を吹いている人も。遊んでいる子どもも、犬を散歩させる人もいました。

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個人個人が、それぞれに生活を謳歌しているようで、自由を感じました。「ああ、こういうのいいなあ」と思いました。「京都の人はフェアで、民主的だと感じます」

商店街には、志帆さんがお気に入りの豆腐屋や魚屋、八百屋があります。自転車で行っては、それらの店主に「これなに? どうやって食べたらいいの?」と聞きます。京都にしかない珍しい地野菜や食材もあり、調理法や食べ方を教えてくれます。そのおしゃべりが楽しいのです。しかも商店に出回っているのは、主に「旬」の食材です。

生鮮食品だけでなく、その日しか売らないお菓子とか、「売り切れごめん」のものが、京都の商店には多いと志帆さんは感じます。売り切れてしまうと、店主から「また来年ね」と言われます。

「また来年、って言うの。これがまたいいのよ」と志帆さんは唸ります。さすがは千年の都。「関係性が続いて行く、継続していく、ってことでしょう」。そうやって季節とともに、祭りや年中行事だけでなく食も、年を重ねてきたのでしょう。