あたしは数日後に電話をかけ直した。今度はダイアンが出た。声を聞くなり「ダイアン、愛してる」と言ったら、「わたしも愛してる」と返ってきた。

「I love you」は恋人同士のささやきだけではない。親子の間でも言い合う。親密な間でほんとによく言い合う。

「ジェリーが、死んで、すぐに、あなたが電話してきた。あれは、マジカルだった」とダイアンが言った。マジカル(魔法じみた)という言葉が沁みた。

「彼はいつ最後の詩を書いたの」

 同じ詩人として聞いておきたかった。

「彼は、毎日書斎へ行って、座ったけど、書けなかった。コンピュータが、わからなくなっていた。最後の数ヵ月、彼は、ジェリーじゃないみたいだった」

ああ、そのとおり、あたしが夫の最後の数ヵ月に感じたことそのままですよ。

「彼は、弱かった、弱かった、弱かった」とダイアンは三回くり返した。「心配で、心配で、心配で、つくりかけの詩集のことが」とまた三回くり返した。

電話の奥から、脳梗塞の後の、ひとつひとつしぼり出すように押し出されてくるたどたどしい言葉が、夫の死にざまと生きざまを、あたしに伝えた。

それはまるで、先住民のまじないうたのように聞こえた。老いた妻がうつむいて唱える「死んだ夫を送る歌」みたいだった。


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米国人の夫の看取り、20余年住んだカリフォルニアから熊本に拠点を移したあたしの新たな生活が始まった。

週1回上京し大学で教える日々は多忙を極め、愛用するのはコンビニとサイゼリヤ。自宅には愛犬と植物の鉢植え多数。そこへ猫二匹までもが加わって……。襲い来るのは台風にコロナ。老いゆく体は悲鳴をあげる。一人の暮らしの自由と寂寥、60代もいよいよ半ばの体感を、小気味よく直截に書き記す、これぞ女たちのための〈言葉の道しるべ〉。