結婚10年目で離婚を決意
実は、こんなことがありました。在宅で翻訳の仕事をしながら、2歳児の面倒を見ていた頃のことです。あまりに大変で認可外保育所に何度か預けました。1日約8000円もかかります。夫に反対された後も、いったん家計費から払い、収入が入ったら補填しようと思って、ナイショで続けていました。ところが急に夫が通帳を見て、普通預金の目減りに気付いて激怒。以来、「家計簿を付けろ」「レシート見せろ」の攻撃が、より激しくなったのです。
ストレスのためか、須磨子さんはいつも具合が悪く、つらい日々でした。肺炎になったことも。両手は酷い手荒れになって、指の皮がぼろぼろにむけていました。ノロウイルスにかかった時など、須磨子さんを労るどころか、夫は2階に一人で避難し、1階の入り口に消毒液が置かれていました。看病する気などさらさらないのです。
離婚を決意したのは、結婚10年目くらいのこと。ただ、実家に子連れで戻ることは考えませんでした。そもそも、夫との結婚に両親は反対でしたから、「言うことを聞かないからこんなことになるんだ」と父には言われそうでした。
そのため離婚は10年計画。「上の子が大学生に、下の子が中学生になったら別居しようと思っていた」。家を借りて別居するにもお金が要ります。10年かけて蓄えようと、夫にはナイショで実家の工場を手伝い始めました。子どもを学校に送り出してから出勤し、子どもが学校から帰る前に帰宅しました。
さらに個人塾を始めました。2006年です。自宅で、一人の生徒に、全教科を教えました。子どもの理解度や目標に応じて教材を用意するきめ細かさが評判になったのか、口コミで生徒が少しずつ増加。自分の娘を塾に送って行った後、帰って来るまでの間に、他人の子を自宅で教えました。しばらくするとホワイトボードが使いたくなって、近所に塾用の部屋を借りることに。家賃が4万円弱かかり、儲けはあまり出ませんでしたが。
夫には工場や塾の稼ぎがバレないよう、新たに銀行口座を作り、お金はそちらで貯めました。