また、「喜捨(きしゃ)」という仏教用語があります。自分が持つ財物を仏さまのために「喜んで捨てる(差し出す)」こと。さらに「財物への執着や物欲から離脱させる」意味も込められています。捨てるという行為は、欲望を手放すためにも必要なことなのです。

それでも、「物をどうしても捨てられない」という人もいるでしょう。それならばまず、失敗や悲しみなど、負の思い出に関わる物から処分してみると、手放す訓練になります。過去の負の出来事に囚われていると、この先の人生まで不幸なものにしてしまいかねません。

他人に対し自分をよく見せようとして手に入れた物も、捨てるべきでしょう。見栄や欲から所有した物に惑わされず、自分にとって本当に大切なことを見失わないようにしてください。

 

あの世には何も持っていけない

物を減らし、部屋が片づいても、「心の荷物」つまり「執着」が多いままでは、平安は訪れません。「お金」「名声」「健康」は誰もが欲しがるものだと思います。

執着は頑張る原動力にもなりますから、悪いことだけではありません。でも「こうありたい」「こうならないといけない」という思いに囚われすぎると、それ以外の生き方を受け入れられなくなるのです。

名誉を得れば、失うことを恐れ、疑心暗鬼になるでしょう。お金に執着すると、どれだけあっても「もっともっと」と欲張るようになる。健康に執着すると、病気になった自分を受け入れられない。どれほど財を蓄えても、名誉を得ても、心に安らぎがなければ人生はつらいものになってしまいます。

私は老人保健施設にお話しに行くことが多いのですが、「今大切だと思っているものを書いてください」と言うと、皆さん紙にいっぱい書き出します。たとえばお金、家、健康、家族など。書き終わったところでもう一度聞きます。「その中から、より大切なものを残してください」と。すると皆さん、いくつか線で消していきます。

さらに「それはどうしても手放せないものですか?」と聞いていくと、最後に残るのは、形のない「思い出」でした。人間は裸で生まれ、裸で死んでいくもの。どんなに大切な物や人があっても、あの世まで一緒に持っていくことはできないのです。