「「持たざる者として平凡に生きることで、見えるものもある」と私はその時気づき、執着を捨てて仏門に入ることを決意しました」撮影:霜越春樹

煩悩の「三毒」が幸せを遠ざける

仏教では、「煩悩が私たちを幸せから遠ざける」と考えます。なかでも「貪欲(とんよく)」「愚痴(ぐち)」「瞋恚(しんに)」は「三毒」と言われ、もっとも根源的なものだとされています。

「貪欲」は、むさぼる心。欲しい欲しいと、足ることを知らない心をさします。「愚痴」は、自分の思いどおりにいかないと、不満をもらす心のこと。「瞋恚」は、怒りの心。この3つの煩悩を捨てれば、心の安らぎを得られるのです。

実は、私も若い頃は「三毒」を抱えて生きていました。寺の娘として生まれたものの、アナウンサーを目指して専門学校に入学。ところが寺を継ぐ予定の兄が引きこもりになってしまったのです。仏事は滞り、200軒あった檀家さんは、すべて他のお寺に移ってしまいました。

すると母は、私に跡を継ぐべく仏教の勉強をするようにと命じたのです。正直気が進まず、寺に生まれたことを心底恨みました。

仏教関連の学校に入ったものの、夢は諦められない。卒業後に芸能事務所に所属しましたが、鳴かず飛ばずで。同僚の活躍に嫉妬心が湧き、常に心が満たされない状態でした。

そんな時、私はある有名タレントの方から「周りに寄ってくるのは自分を利用しようとする人ばかりで、真の友人がいない」と、深い孤独感を打ち明けられました。芸能の世界で成功したからといって心が満たされるわけではない。そう気づいた時、学校で学んだ親鸞聖人の言葉を思い出したのです。

親鸞聖人は「凡夫(ぼんぷ)として生きる」とおっしゃっています。凡夫とは「ただびと」のこと。つまり「持たざる者として平凡に生きることで、見えるものもある」と私はその時気づき、執着を捨てて仏門に入ることを決意しました。

兄にそのことを伝え、今後のことをよく話し合いました。その結果、彼は表に出てくるように。次第に檀家さんも戻ってきたのです。私はといえば、人前で寺の復興について話をする機会を得て、ラジオ番組などに出演するようになりました。

執着を捨てたところから思いがけない道が開け、世界が大きく広がっていったのです。