執着を「棄てた」親鸞聖人
浄土真宗の宗祖である親鸞聖人もまた、執着を手放した人でした。彼は29歳の時に比叡山での修行をやめて下山しますが、そのときの思いを後年、「雑行(ぞうぎょう)を棄てて本願に帰す」(『教行信証』)と書いておられます。
「頑張って自力で修行(雑行)してきたけれど、『上を目指す』という執着からであった。それを棄てて、仏さまの願いにまかせて力を抜き、私にできることをさせてもらおうと心を決めた」という意味です。
親鸞聖人は、「捨てる」ではなく「棄てる」という字を使っています。「捨てる」はポイと放り投げればおしまいですが、「棄てる」には「後に展開する」という意味があります。すべて棄てきった時、逆に今までの人生が未来に生きてくるのです。
過去には怒りや失敗、挫折、憎しみなどがあったけれど、それらがあったからこそ、自分は強くもなり、やさしくもなれた。執着の心を棄て、過去のできごとも自分にとっては大事なできごとであったと慶べるようになると、人は真の幸せを手に入れることができるのです。そのことをぜひ、私は皆さんにお伝えしていきたいと思います。