武田百合子:著『富士日記(上・中・下)』(中公文庫)
武田百合子:著『富士日記(上・中・下)』(中公文庫)

いろいろなバイトもしたそうで、水商売の経験もあるようですけど、口下手だったし、男性を相手にするような商売は難しかったんじゃないか。ちょっとうらぶれた小さな店で、お客さんの悩みを聞いてあげて、ぼそっと何かひとこと、アドバイスともつかないようなことを言う――そんな人生相談請負人なら想像できますが。

百合子さんは、「この中のものは私が死んだら燃やすこと」と書いた紙が貼ってある茶箱を残して旅立ちました。

花さんは百合子さんの没後、その箱を富士山荘に持っていき、箱の中のノートや本を約束通り中身を見ずにすべて燃やしたそうです。百合子さんは、花さんなら必ず遺言通り燃やしてくれると信じていたんでしょうね。

僕はずっと、百合子さんは唯一無比で、あんな人はほかにいないと思っていました。その娘である武田花さんも、けっきょく唯一無比の表現者に仕立て上がった。本当に稀有な才能に満ちあふれた一家でした。