「自分のことを書くのは気恥ずかしくもありました」(万城目さん)撮影:本社写真部
『鹿男あおによし』や『プリンセス・トヨトミ』など、独特の世界観をもつ作品を生み出し続ける万城目学さん。プロの小説家になるまでの軌跡を『べらぼうくん』という著書にまとめたそうで…(撮影=本社写真部 構成=野本由起)

くすぶり続けた約10年間をつづりました

『鴨川ホルモー』という小説でデビューした2006年、僕は30歳になっていました。初めて小説を書いたのは21歳で、大学4回生。そこからプロになるまでが長かった。就職してからも書いていましたが、まったく芽が出ない。無職になって上京し、執筆に専念しても新人賞は落選続き。この本は、そんな僕の、浪人時代から小説家になるまでをつづったエッセイです。

「自分のことを書くのは気恥ずかしくもありましたが、大学の同級生でもあった編集者に、「就職氷河期に社会に飛び出した我々の世代論にもなれば」と説得され、週刊誌で連載を始めることに。全共闘時代やバブル期のことは、諸先輩方が書いてくれているので、当時の空気を知ることができます。でも、その後のロスジェネ世代の青春を書く人は少ない。それもあって、1990年代から2000年代の時代感を意識的に描いています。

大学の先輩がオウム真理教信者だったこと、超就職氷河期にもかかわらず「無理して就職しなくてもいいんじゃない?」という空気が漂っていたこと、学生名簿を売って小遣い稼ぎをする先輩のこと、当時流行っていたJポップのこと。世代論と言っても小難しいことは書かず、具体的なエピソードを積み重ねました。僕、長期的な記憶力はすごくいいんですよ。同窓会があると語り部になります。(笑)

前半の舞台は、僕が大学生活を送った京都です。きわめて完成された学生街で、本当に居心地がいい。友達は徒歩圏内に住んでいて、モラトリアムが充溢していて、学生は馬鹿げた事件ばかり起こして。多感な時期に地方でひとり暮らしをして、周囲と距離を保ちながら孤独と付き合うことで、自分の中に大きな柱ができたと思います。半面、「ここにいたら本当にダメになる」とも感じました。

2年間勤めた会社では静岡に配属になりましたが、ここも居心地の良い土地でした。でも仕事を辞めて書くことに向き合おうと思った時、京都でも静岡でもなく、東京で新生活を始めたのは、厳しい環境に身を置かないとエンジンがかからないと考えたから。と言っても「何が何でも小説家になる!」という強い意志なんてなく、「まあ、なれないだろうな」くらいの感覚です。半信半疑どころか、ほんの1割しか信じていない「一信九疑」。スポーツ選手はよく「夢はかなう」と言いますが、そんなわけがない。でも、どんなに低調でも続けるしかないと思っていました。

連載時はこの無職時代に入ると、読者による人気投票の結果がとても良くなったと言われました。無職を経験し、しんどい思いをしている若者を見ると、安心感を抱かれるのかもしれません。僕自身が印象に残っているのは、やっぱり『鴨川ホルモー』が新人賞を受賞した時のことです。うれしい一方、今後はこれを超えるものを書き続けなければならないことに、怖さを感じました。

雑誌では「人生論ノート」というタイトルで連載していました。ただ、本家である三木清の、死を賭して書いたようなものを連想されると読者に申し訳ないなと思い、単行本では変えることに。よく「小説家になるには」なんて話がありますが、それは数億通りの道から1つが消えるだけなんじゃないかと思うんですよね。これは所詮、僕が辿った道。だから気楽に読んでもらえたら十分です。人生うまくいっている人の話なんて面白くありませんが(笑)、その点、くすぶり続けた約10年間をつづったこの本は安心です。