歌謡界に確かな足跡を残した方々

そして、9日目、10日目は、霧島昇さん、岡晴夫さん、田端義夫さん、そして東海林太郎さんを取り上げます。日本の歌謡界に確かな足跡を残した素晴らしい歌手の方々なので、この名曲たちも取り上げないわけにはいかない。

霧島昇さんも音楽学校の出身者です。古賀メロディを歌ってますが、藤山一郎さんとはまた違った趣です。そしてなんといっても、戦後のヒット曲第1号『リンゴの唄』を歌った方です。『リンゴの唄』は並木路子さんの曲と思われているかもしれないけれど、もともと霧島昇さんとの「共唱」だったんです。共唱って今はあまり言いませんが、戦時中戦意高揚のための曲をスター歌手総動員でレコーディングしたころの言い方だったようです。

岡晴夫さんは上原げんと先生門下なので、いわば僕の兄弟子です。大ヒット曲といえば、『憧れのハワイ航路』でしょうか? 当時はハワイに船で行ってたんだと思うと、感慨深いですね。時代は変わっても、いまだにハワイは日本の人気の観光地。憧れの気持ちもまだまだ残っているような気がします。

田端義夫さんの「オーッス!」という元気のいい声は一世を風靡しました。昭和14年にデビューしていましたが、「新曲を出し続けることが、現役歌手の証し」という信条で、平成になっても新曲を出し続け、まさに生涯現役で息の長い歌手として活躍なさいました、田端さんといえばギターですよね。独特の演奏スタイルも含めて、記憶に残るレジェンドです。

そして!最後に取り上げさせていただくのは東海林太郎さんです。

この中で唯一1800年代の1898年生れです。まだテレビの時代ではなく、ラジオの時代でした。いまでは股旅と言えば着物姿が主流ですが、当時、東海林太郎さんは名曲『名月赤城山』を、燕尾服を着用して直立不動の姿勢で歌う特徴的な歌唱姿が、記憶に鮮明に残っております。歌手協会の初代会長でもいらっしゃいます。

これらのレジェンドたちのヒット曲に、僕のヒット曲を合わせて、10日間ぶっ通しでやりきるつもりです。