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家庭の幸福には時間が必要?

とくに目を引くのは次の文章でしょう。

〈家庭の幸福のために須(すべから)く時間を冗費せよと主張するのでは決してない。使わなくてもすむ時間までを徒費しなければ美味しい料理が出来ないという理屈はないのである。

出来る丈(だ)け世話のかからぬ料理を撰び品数も少なくし、其上(そのうえ)料理道具や食器に改良を加える事も必要であると思う。

我国のそれに比べると洋式のものは至れり尽(つく)せりの便利な器具が非常に多い。<略>

採って以て我を益するものならば器具でも機械でも料理法でも材料でもこれに習って我がものにしてしまうことである。況(ま)してわざわざ外国のものに擬せずとも我国の丼茶碗を用いる丼飯の如きは誠に結構。小さな御茶碗に同じ御飯を二度も三度もおかわりする事に何の意義があるか。<略>

心長閑(のどか)に小笠原流のお浚(さら)いをした時代は本当になつかしい。あの優雅な厳粛なところは捨て難いには違いないけれども、この忙しい世の中では到底望めないことである〉(25年12月号)

時間のないなかで日々の家事をどうこなすか。大正時代の主婦たちも、現代と同じような悩みを持っていたことが窺い知れます。

※表記を新字新仮名にしています

 

次回は「やめたい家事、やめた家事」のアンケート回答をご紹介します