そこには青春を謳歌している姿が

その後、光代さんが娘とともに昌也さんの会社へ挨拶に行くと、同期の仲間や同僚たちが料理店で一席を設け、昌也さんを偲ぶ会を開いてくれた。在りし日のことを思い出しながら、母と妹を励まそうとしてくれたのである。そこで語られるエピソードの数々には、光代さんの知らないわが子の姿があった。

「忘年会で上司のモノマネを披露して大受けした話とか……。あの子が死んでから、はじめて笑いました」

大学時代の友人やサークル仲間も、わざわざ広島まで足を運んでくれ、昌也さんの思い出を話してくれた。職場の友人からは、後日、たくさんの写真を1冊のアルバムにしたものが送られてきた。スキー旅行、飲み会、オフィスや出張先でのスナップ。若い女性とのツーショット写真もあって、書き添えられた友人のコメントには、当時のガールフレンドとあった。

「みなさんから話を聞き、たくさんの写真を見ると、そこには一所懸命に仕事に取り組み、楽しそうに仲間たちと遊び、恋もし、青春を謳歌している息子がいました。あの子はこんな日々を送っていたんだ。短い人生だったけど、幸せだったんだと思うと、すっと心が軽くなりました」

8年経った今も、家族旅行に中国地方を選んだ、出張で近くに来たと言っては、昌也さんの友人たちが墓参りに来てくれる。「子どもが生まれて家族が増えました」「今度○○に転勤です」と、電話で近況報告を知らせてくれる人もあり、毎年の命日には光代さん宛の手紙と線香が届く。

「こうしたご縁も、亡くなった息子からのプレゼントですよね。寂しさはあるけれど、息子も私も決して不幸ではなかった」

そんな思いが光代さんの気持ちを楽にするのだった。

亡くなった人のことを決して忘れはしない。そのうえで、遺された人が充実した人生を送ることが故人の望みであり、また、見守られているという思いが、そのあとを生きる人にとって励みともなるのだ。