小説なのに音楽を聴いているように書いた

馬は言葉が通じないので、どうやってコミュニケーションを取るのかとなった際、鳴き声や歌だと最初に思ったんです。前作『神曲』は聖歌隊がモチーフで、歌の始まりは、鳥の鳴き声を人間が真似たという説に触れました。そして今回、馬のいななきはオペラのようで、足音のリズムは音楽のようだと感じて。

執筆中は、ピアニストのグレン・グールドによる『バッハ:ゴールドベルク変奏曲』をずっと聴いていました。バッハのピッチやリズム感が、ある種、馬の足音のように聴こえる。馬が歩いたり、走ったりするリズムに似ていて、小説のいろいろなシーンに合わせて聴くパートも分けながら、書き上げていきました。

言葉には、それ自体の意味もありますが、リズムもあります。昔からある短歌や現代のラップも、言葉の意味だけでなく、リズムも含めて完成している。そこで小説でも、読んでいる時に読者がそのリズムを体感できたらと考えました。だから今作には「ドゥダッダ」など馬の足音を感じるスキャットなども意識して入れています。小説だから音は鳴らないはずなのに、音楽を聴いているような体験ができないかな、と。

また、主人公・瀬戸口優子は、人間との言葉の交流があまりなく、ラストシーンまでほぼしゃべらない。そんな彼女が、馬とはコミュニケーションが取れていると思うのは、鳴き声や足音で感じているからだろうと。

馬は言葉ではなく、跨っている人間の太ももの血流や体温から、その人がどうしたいかを判断していると言われています。もともと人間も、体温や匂いなどの情報で動物的にコミュニケーションを取っていたはず。しかしどうしても言葉頼りになっていくから、むしろ齟齬が多くなってきた。同じ家に住む家族でも、すれ違ってお互いを理解できなくなり、さらにSNSでは、顔すら知らない相手と喧嘩になる。主人公を無口にしたのは、言葉があるのに通じていない人間の世界と、言葉がないのにコミュニケーション密度が濃い動物の世界のコントラストを書きたかったからです。