自分にとっての切実な問題の処方箋

僕は基本的に3年に1回しか小説を書かないのですが、いつもその時代の幸福論を書きたいと思っています。今の時代にとって、人間は何をもって幸せだと感じているのか? それが恋愛の時もあれば、お金の時もあって、今回は「誰とつながっているか」というコミュニケーションがテーマとなりました。

さらにその時代ごとの“自分にとっての切実な問題”を解決するために書いている。『世界から猫が消えたなら』は、僕のおじさんが45歳と若くして亡くなり、人はこんなに早く死んでしまうのだと実感していた時の作品。自分が死んでしまった後に、どんな世界が残るのだろうか、と。その不安を解決するために書いていたところがありました。『億男』は、まわりでお金を持った人たちが、まるで幸せそうに見えなかったことがきっかけです。貧乏はつらいが、お金を持っていても幸せになれない。では、幸福の最適解とは何だろうと、知りたくて。

『四月になれば彼女は』は、まわりで誰も恋愛しない、誰も結婚に希望を持っていない状態だったので、「どうしてそうなったのかな?」と、その理由を探したくて書きました。基本的に、小説を書くという行為は、僕にとっては切実な問題を解決するための手段。だから、まず取材を大量にします。今作でも、馬に100頭以上会いましたし、馬に乗っている人たちにも50人以上にインタビューしました。すごい量の取材をすると、悩みの出口のようなものが見えてくる。そして理解したものを、今度は物語化していくことで、自分の中の解像度が上がる。

このプロセスをやるのに3年かかる。そして書き終えた頃には、当時の自分が抱えていた不安や、フラストレーションの正体がちょっとわかるようになっていて。まるで処方箋をもらったような気持ちになります。でも終わると、すぐに次の不安や恐怖が現れるので、今度はその山に登る、ということを繰り返している。生きていると嫌なことが絶えず現れるんですが、それを自分なりに理解して向き合うために、小説を書いてるのかもしれません。この世界のどこかに、自分と同じようなことに悩んでいる人がいると信じて書き続けています。

僕にとっては、物語を書くことが、誰かとつながっていることを確認する行為なんです。例えば、小説を読んだ人から「面白かった」「のめりこんだ」「心が動いた」と言ってもらうと、自分だけの悩みではなかったんだと思えるんです。それが書き手と読者とのコミュニケーションだと考えています。

 

後編につづく


私の馬』(著:川村元気/新潮社)

「ストラーダ、一緒に逃げよう」。共に駆けるだけで、目と目を合わせるだけで、私たちはわかり合える。造船所で働く事務員、瀬戸口優子は一頭の元競走馬と運命の出会いを果たす。情熱も金も、持てるすべてを「彼」に注ぎ込んだ優子が行きついた奈落とは? 言葉があふれる世界で、言葉のない愛を生きる。圧倒的長編小説!