映画プロデューサーに小説家、映画監督など、マルチに活躍する川村元気さん。多様なことを手掛けているように見られがちですが、「関心を持ったものを適した形で表現しているだけ」とのことでーー。リニューアル1号目となる『婦人公論』2月号から、特別に記事を先行公開いたします。(構成◎野本由起 撮影◎大河内 禎)

緩やかな地獄に向かっているような

僕は、『告白』『悪人』『君の名は。』などの映画を作りながら、小説を書いています。表現方法は違えど、共通するのは「物語を紡ぐ」ということ。傍目には、「なぜバラバラなことをやっているのか」と見えるかもしれませんが、興味のあるテーマや物語を、最も適した形で表現しているだけなんです。

今回の『神曲』は、「見えないものを信じること」について書いた物語です。

ここ数年、占いやパワースポットなどスピリチュアルなものへの依存度が高まっているように感じます。ネットで調べればかなりのことがわかるこの時代に、人はなぜ目に見えないものを信じるのか。そんな疑問を抱き、僕は約5年かけてキリスト教や神道、仏教から新興宗教、スピリチュアルと言われるものまで、150名近い宗教家、信者、元信者に取材を行いました。

「宗教とは、神とはなんぞや」を知るために、エルサレム、チベット、インドなどの聖地も巡礼。しかし、それだけ多様な神に触れても、何も信じられなかった。まるで、「不信」という宗教の敬虔な信者のようで、そんな自分に不安を覚えました。

僕に限らず、多くの日本人は何かを強く信じていません。それは理性的な態度だと思いますが、騙されまいとして生きる人が信仰を持つ人に比べて幸せそうにも見えない。むしろ緩やかな地獄に向かっている気さえします。なのに、何かを強く信じる人に対して、差別的な目を向ける風潮すらある。

でも、宗教に対しては理性的な人でも、周囲が「もう別れたら?」と言うような人といつまでも離婚しなかったり、「辞めればいいのに」と思うような会社にしがみついていたりする。それも、ある意味、「信仰」なのかもしれません。

そんなことを考えながら取材を続けるうちに、世界はコロナ禍に覆われ、社会が不信の渦に巻き込まれていきました。インターネット上には悪意が満ち、家庭内にも不信が霧のように迫ってきた。親が子が、夫が妻が、何を考えているのかわからない、家族ですら信じることが難しい。そんな声も聞こえてくるようになりました。

川村元気「神曲」新潮社 1705円

小説を書くときは、自分自身の不安と、社会全体に抱く違和感を合わせてテーマを決めます。何かを過度に信じるのも危険だけれど、何も信じないのも幸せではない。では、どのあたりに幸せの着地点があるのか。

この小説を書くことで僕自身が知りたかったし、不信の時代だからこそ多くの人にとって切実な物語になると思いました。