アイヌの生活

アイヌの人々は自然そのものを神「カムイ」として崇め、クマやアザラシさえも狩猟する知恵と技能をもち、それを食するときは感謝の捧げものを神にしてからみんなで分け合う。

男には男の、女には女の役割があり、動物たちがそうなようにその関係性は平等に見える。ムックリなど自然界の音を音楽とする楽器を奏で、川を上ってくる鮭の漁は、産卵が終わった後で。そうすれば来年の鮭の水揚げ量の確保にもなるからだ。そんな風に豊かに暮らすアイヌの人々を、日本人は悲しいことだが迫害した。

映画の主人公で松前藩武士の息子・高坂孝二郎(寛一郎)と兄の栄之助(三浦貴大)は、アイヌの人々からコメとの交換で得た交易品を他藩に売る仕事をしている。孝二郎は交換される米俵が年々小さくなっていることを疑問に思うが、兄は「コメの値段が上がっているから仕方ないのだ」と言う。

さかもとさんイラスト、アイヌについて語る四コマ
写真・イラスト提供◎さかもとさん

要するに、アイヌの人々に不利な交易がはじまっているわけで、例えば元々はアザラシの毛皮5匹が10kgの米になっていたのが、8kg、6kg、と言った具合に減っていっているという事。本当はもう少し江戸幕府と松前藩の悪事をはっきり書いてほしかったところだが、映画は、使用人の善助が不審な行動をしているのを兄の栄之助が見つけ、咎めた栄之助が殺される事件から、「孝二郎が兄の仇討ちを決意して蝦夷の森に分け入る」という方向転換をする。

わたしは寛一郎と言う俳優を初めて見た。芝居はやや固いが逸材だと思う。アップに耐える甘すぎない美青年、体躯も立派、真摯な人柄が外面に透けて見えるような俳優だ。

さて、孝二郎は善助を見つけて斬りかかるも、反撃されて川へ転落。しかし傷を負いつつも川岸に流れ着き、アイヌの村人に発見されて救出され、手当てをうけることになる。孝二郎は言葉も通じない異文化の村の中で体が回復するのを待ちながら、だんだんアイヌの生活になじみ、彼らと心を交わしていく。