「ショッピングモールの歌姫」誕生の経緯

――デモテープを持ち込み、自分の歌を売り込むのに必死だったインディーズ時代を経て、「ショッピングモールの歌姫」と呼ばれるまでになった半崎さん。歌う舞台をクラブからショッピングモールに移したのには、どのような経緯があったのか。

インディーズ時代、レストランで演奏されているピアノ奏者の方を見かけて、休憩中にいきなり「私のピアノを弾いてください!」と声をかけたんです。はじめは警戒されましたが、「怪しいものじゃないです」と必死に説明して。その方が週末にショッピングモールで司会のお仕事をされていることがわかり、ご縁が繋がって、モール内ステージでの出番をいただけるようになりました。はじめて歌ったショッピングモールは、忘れもしない、海老名のViNAWALKでしたね。

ただ、無名の歌手ですから、最初はお客様に足を止めてもらえない期間が長かったです。そこから、どうやったら足を止めてもらえるだろう、最後まで歌を聞いてもらえるだろう、CDを手に取ってもらえるだろう、とたくさん考えました。ガラガラの客席で、前のほうの席に座るのって勇気がいりますよね。なんとなく、途中で席を立ちにくいでしょうし。

だから椅子の並べ方を変えてみたり、お客様の導線上のエスカレーターのそばにCDの販売場所を設置したりと、独自でさまざまな方法にトライしました。見えないところから司会のように「半崎美子さんです!」って自分でアナウンスして登場するなど、少しでも多くの人に興味を持ってもらえる工夫を重ねました。

サイン会で対話を深めていく時間も、私にとって貴重なものでした。お客様一人ひとりと対話をした結果、6時間ほどかかったことも。人によっては言葉に詰まったり、沈黙があったりする場面も。そういう時、私から言葉をかけることなく、相手の言葉が出てくるのをじっと待ちます。一緒に黙って涙を流して、かたい握手を交わすだけということもあります。そういう対話を含めて、お客様との出会いや交流が私自身の生きる糧になり、救いにもなりました。

最初の頃は、「私の思いを歌で聞いてほしい」という気持ちが強かった。ところが、モールでの対話を機に、「発信」から「受信」に重きを置くようになったら、自然と曲の作り方も変わったんです。皆さんの思いを受けとった時に自分の中に少しずつ降り積もっていく言葉や思いが、折に触れてぶわっとあふれる瞬間があるんです。それがメロディを伴って歌詞として出てくるので、その声をボイスメモに録音して、ライターさんのように聞きながら文字起こしをして曲を作っています。これが本当に不思議な作業で、自分で書いている気がしないんです。何かに書かせてもらっている感じというか。亡くなった方の声も含めて、自分自身が器となって誰かの思いを歌にしている感覚です。