歌手の夢を反対していた父の“本当の思い”

――天童よしみさんへの楽曲提供で話題となった『大阪恋時雨』が、『第70回NHK紅白歌合戦』で歌われた。当初、歌手になることに反対していた父をはじめ、娘の活躍をご両親はどのように受けとめていたのだろうか。

天童よしみさんが『大阪恋時雨』を歌われた日、私はちょうど実家に帰省していたんです。楽曲提供者として私のクレジットが流れたのを見てすごく感激しましたし、両親も喜んでくれました。憧れの紅白に、先に名前だけ出るという有り難い出来事でした。

はじめにお話した通り、私が歌手になることを父は反対していました。なので、しばらくの間は疎遠状態だったのですが、実は父が、私が住み込みをしていたパン屋さんにこっそりお金を置いていってくれたことがあって。母は母で、私を尋ねてくる際にメロン6個と北海道ラーメン6箱を担いで持ってきてくれたりとか。(笑)

インディーズ時代、上京したあとに北海道で凱旋ライブを行ったことがあるのですが、やはり人が集まらなかったんです。そんな時、父がコンサート会場を押さえてくれたり、母がショッピングモールでチラシ配りを手伝ってくれたり。父は、北海道のラジオ局に「娘がCDを出しました」と手紙を添えて送っていて、影ながらずっと応援してくれていたんです。当時は母としか連絡を取り合っていなかったのですが、その時のことを思い出すと今でも泣けてきます。

2008年頃、私が『永遠の絆』という歌を両親に宛てて書いてから、父も少しずつ私の活動を気にかけてくれるようになったみたいです。両親だけではなく、パン屋さんのオーナーもいまも活動を応援してくれていて、本当にありがたいなぁと感じます。初期の頃から応援してくれている方が、現在の活躍を一緒に祝福してくれるのは、この上ない喜びです。

半崎さんのコンサートに駆け付けたご両親。満面の笑みで(写真提供◎半崎さん)