十二単という用語は江戸時代から
平安時代の女房装束では、重ねる衣の数に定めはなく、個々人でかなり幅があったようです。あえて推測すれば、袴と裳を除き、10枚前後が中心だと考えられるのではないでしょうか。
もともと十二単という用語も、12枚重ねるからではなく、袿を何枚も(十二分に)重ねる装束を意味するもので、江戸時代に使われるようになったとか。つまり、元来の“十二単”とは、唐衣と裳をつけない袿姿を指すと考えられるわけです。
また、装束は身につけるばかりでなく、ハレの日の室内装飾としても用いられました。
御簾の下から、美しい「かさね色目」が見えるように、御簾の内側に女房装束を束ねて置き、着飾った女房があたかもそこに座っているように見せる――そんな「打出(うちいで)」と呼ばれる演出も行われていたようです。実際に衣を重ねて置くと、まるで人が着ているようにしっかりとした立体になるので驚きです。
本連載の第2回で紹介した「風俗博物館」では、この「打出」の様子も、4分の1の大きさの人形や精巧な模型を使って再現されています。じっくりと展示を見ると、女房たちが公の場では唐衣と裳をつけ、自分たちの部屋に戻ると袿姿になることなども、見て取れると思います。
次に『光る君へ』を観るときは、二陪織物の豪華さや「かさね色目」の配色の美にも、ぜひ注目してみてください。きっと、ドラマがもっと楽しくなると思いますよ。