【日本橋】三越本店

涼しき装い(『三越』第15巻第16号口絵)1925年

 

しかし大正12(1923)年、関東大震災で東京は壊滅的な被害を受けました。復興後、街はどんどん近代化し、モダン都市に生まれ変わります。

夢二は、そんな東京の変遷を経験しました。東京という街に強い愛着を感じていたようで、震災後に故郷の両親へ送った手紙には、「余は東京を故郷と定め申し候」という言葉も残されています。

恋多き夢二は、実在の女性をモデルにして制作を手掛けることもありましたが、多くは「理想の女性」を描いていました。作品を追っていくと、抒情的な大正ロマン風の女性だけでなく、洋装のモダンガールも登場します。

今でいう商業デザインの分野でも活躍し、広告の絵なども描いているので、新しい風俗にも敏感だったのでしょう。

日比谷公園や日本橋三越本店によく足を運び、見かけた女性をスケッチしたことも。彼のスケッチは見たままを写し取るのではなく、その人の印象や仕草に重点を置いていました。