matedokurasedo(『春のおくりもの』口絵)1928年
〈発売中の『婦人公論』10月号から記事を先出し!〉
今年、生誕140年を迎えた画家・竹久夢二。彼の描いた美人画やイラストは東京のハイカラ文化をリードし、大正ロマンの代名詞となりました。竹久夢二美術館の学芸員・石川桂子さんのガイドとともに、夢二の見ていた東京の街を追体験してみませんか(構成=篠藤ゆり 画像提供=竹久夢二美術館)

流行の最先端はスケッチから生まれた

画家・詩人として知られる竹久夢二は16歳で岡山から上京し、49歳11ヵ月で亡くなるまで東京で暮らしました。その間、長期で旅に出たり、晩年の2年数ヵ月は外遊したりもしましたが、約30年、東京を拠点に活動しています。

上京以来引っ越しを繰り返し、最後は当時郊外だった世田谷に居を構えました。晩年も、毎日のように銀座に出かけていたそうです。

 

マンドリンを弾く夢二(堀内清宅にて)。本名・竹久茂次郎(もじろう)1884~1934年。岡山県生まれ。画家・詩人

 

夢二が上京したのは明治時代後半。その頃の東京には、まだ江戸の風情が残っていました。夢二が頻繁に街に出かけてスケッチをしたなかには、京橋大根河岸(だいこんがし)市場や、日本橋に蔵がたくさん並んでいる魚河岸の風景も見られます。