お話を伺った人 丹生晃市(にう・こういち)さん
1955年東京都生まれ。國學院大學文学部神道学科卒業。神社本庁勤務を経て85年から丹生都比売神社権禰宜(ごんねぎ)を兼務。2006年宮司に就任

丹生 「神様にお供えしないものは食べない」という考え方ですね。私の母は信仰心が篤く、幼い私を連れてあちこちの神社仏閣にお参りに行っていました。母は「お札を持ってお肉を食べてはいけない」と言って、伊勢まで行ったのに、名物の松阪牛は食べさせてもらえませんでした。(笑)

江原 宮司はこちらに来られてどのくらいになるのですか?

丹生 15年になります。それまでは神社本庁におりました。こちらのお宮に来た頃は、1日10人くらいしか参拝の方が来ない。あるとき、境内の杉の大木に抱きついている人がいたので、話しかけてみたのです。

江原 どんなお話を?

丹生 このお宮は1700年以上前からあって、大木にパワーがあるのは確かだけれど、大事なのは神様のいらっしゃる本殿なんですよという話をしました。そして、神前ではみんなが幸せになること、平和を祈ることが先で、「自分のこと」は後ですよ、と。みんなつながっているのだから「自分だけが良くなろう」というのはいけませんよね。熱心に耳を傾けてくれ、本殿にもお参りなさっていました。お賽銭は入れずにそのまま帰られましたけど。(笑)

江原 私もかつて神社に奉職していたのでわかるのですが、お賽銭を「ご縁があるように」と5円玉で入れたり、1円玉を数珠つなぎにして入れたりする人がいました。語呂合わせに意味はないし、数珠つなぎにするというこだわりも微妙ですね。自分がご利益をもらうことしか考えていないのですから。現世的な言い方になりますが、お賽銭というのは神社の管理運営費。お宮を維持していくためにはいろいろ大変だと思います。仏教はその点、上手(笑)。戒名とかお墓とか……。春と秋の「お彼岸」も、もとは神道にある春季皇霊祭、秋季皇霊祭から来ていますし……。

丹生 そうなんですよね。ここに来ていただければ、「神道」と「仏教」は切り離して考えるものではなく、同じことを言っているんだということがわかっていただけると思います。日本にはまず神様がおられて、後から仏教が入ってきたのです。

弘法大師は仏教(真言宗)を確立しましたが、仏教が入って来たからこそ、言葉(教義)を持たない神道が、仏教と結びつくことで残ったのではないでしょうか。漢字が伝来して日本語を完成させたように、日本の神道を残していくために、仏教の言葉でなぞらえた。これが「神仏習合」ではないでしょうか。