神社の入り口の美しい輪橋に立ち、土地が持つパワーを感じる江原さん。(撮影:岸隆子)
日本人の習慣として根づいている「初詣」。神社に詣でる本来の意味とは何でしょうか? 高野山とともに世界文化遺産に登録をされている丹生都比売(にうつひめ)神社(和歌山県)を、江原啓之さんが訪れました。聖地で感じたエナジーとは? 宮司の丹生晃市さんと語り合います(構成=湯川久未 撮影=岸隆子)

神社というのは、祓い、祈り、願う場所

江原 15年前、丹生都比売神社のお宮が世界文化遺産に登録されたのは、「神道と仏教が融合した文化的景観」が認められてのことだそうですが、霊場・高野山、そして弘法大師・空海ともつながりが深いのですか?

丹生 弘法大師が高野山を開く際、丹生都比売大神(にうつひめのおおがみ)の御子・高野御子大神(こうやみこのおおがみ)が狩人に化身して、高野山まで導いたという話が残っています。

江原 そのとき、黒と白の犬を連れていたそうですね。

丹生 ええ。私どもの神社では2年前「すずひめ号」という白の紀州犬を奉納いただくことになり、「ご神犬」として迎えたのも、その伝説を広く知っていただくためなのです。

江原 「ご神馬(しんめ)」が奉納される神社はありますが、ご神犬は珍しいですね。ご神馬といえば、そもそも絵馬は、馬を奉納できないかわりに「絵」にして奉納したのが起源。それなのに、最近では「合格できますように」など、個人的な願望ばかり記すようになっているのは問題だなと感じています。宮司はどう思われますか?

丹生 私は、神社というのは、祓い、祈り、願う場所だと思っています。祓うことで本来の自分を取り戻し、「人間って素晴らしい」ということに気づいて、神様の前で祈る。願いごとをするのは、その後です。

江原 神社に自分のお願いごとだけをしに行くという考え方が、そもそも「小我」ですよね。「自分から“出すもの”は小さく、でも“もらうもの”は大きく」なのですから。今、みんな見返りを求めすぎている気がします。

丹生 「願い」というのは、つまり「その人がどう生きていきたいか」ということですよね。神様にお伝えしたからには、そこに向かって努力することが絶対必要で、神社は、その努力を誓う場だと思います。また、「祈り」と同じように「実り」を感謝することも大切。神様の“おかげ”をいただいて育った作物を、その土地で食べる。それによって、パワーをさらに神様からいただけます。

江原 今日は「天野米(あまのまい)」という地元特産のお米もいただきましたが、とてもおいしかったです。最近、私は肉や乳製品をやめて、昔ながらの「和食」をいただいているのですが、まさに本物の“ごちそう”でした。