イメージ(写真提供:Photo AC)
現在放送中のNHK連続テレビ小説『おむすび』にも登場したゲームセンター。ハギャレンたちが毎日集っていました。1980年代に全盛期を迎え、一時は「不良のたまり場」ともいわれたほど、良くも悪くも賑わいを見せた場でした。しかし、現在では関連企業の倒産や廃業が相次ぎ、大幅に店舗数を減らしています。一方、昔からゲームセンターとの結びつきが強かった「クレーンゲーム」は盛況の様子。設置場所をゲームセンターからショッピングモールなどへと広げ、順調に市場規模を拡大しています。

昔のクレーンゲームは箱型だった

日本のクレーンゲームの歴史は比較的古く、1965年にタイトーからクレーンゲーム機「クラウン602」が発売されたという記録が残っています。

この頃のクレーンゲーム機は今よりもサイズが小さく、上から見下ろしながら操作する箱型のタイプが一般的でした。

景品も今ほど豪華ではなく、カプセル入りのお菓子やキーホルダーといったちょっとしたものが主流だったといわれています。時にはタバコやライター、下着なども景品として入れられることがあったというから驚きです。景品のラインナップからわかるように、この時代のクレーンゲームは大人が主なターゲットでした。

そんなクレーンゲーム市場に転機が訪れたのは、1980年代後半に入ってからのことです。セガが1985年に発売した大ヒット機「UFO CATCHER」を皮切りに、さまざまなメーカーによる開発競争が始まりました。

現在では一般的となった、ポップな色使いのクレーンゲーム機やぬいぐるみを景品としたクレーンゲーム機も、この頃から登場し始めます。「かわいさ」や「親しみやすさ」といった要素を取り入れたことで、女性からもクレーンゲームが注目されるようになりました。

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