祈り続けたその結果…
ムスメの祈りが通じたのか!?父・孝標の任期が終わり、ついに京へ戻ることになりました。
引っ越すために、家具や調度を取り払ったこの長年過ごした家も、こんなに広かった?と思うくらい、ガラーンとしてしまい…。
支度にバタバタと大騒ぎをして、日も沈み際の夕暮れの一面に霧の立ち込める頃…、振り返ると、何度もお祈りした薬師仏さまが…。
ムスメ13才の秋、京へ――。
『更級日記』原文
あづま路(ぢ)の道の果はてよりも、なほ奥つ方(かた)に生ひ出いでたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひ始めけることにか、世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間宵居(ひるまよひゐ)などに、姉、継母(ままはは)などやうの人々の、その物語かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。いみじく心もとなきままに、等身(とうしん)に薬師仏(やくしぼとけ)を造りて、手洗ひなどして、人まにみそかに入りつつ、「京(きやう)にとく上げたまひて、物語の多くさぶらふなる、あるかぎり見せたまへ」と、身を捨てて額(ぬか)をつき祈り申すほどに、十三になる年、上らむとて、九月(ながつき)三日門出(かどで)して、いまたちといふ所にうつる。
年ごろ遊び馴れつる所を、あらはにこほち散らして、たち騒ぎて、日の入り際(ぎは)のいとすごく霧(き)りわたりたるに、車に乗るとてうち見やりたれば、人まには参りつつ額(ぬか)をつきし薬師仏の立ちたまへるを、見捨てたてまつる悲しくて、人知れずうち泣かれぬ。
[一、物語に憧れる日々より]
あづま路(ぢ)の道の果はてよりも、なほ奥つ方(かた)に生ひ出いでたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひ始めけることにか、世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間宵居(ひるまよひゐ)などに、姉、継母(ままはは)などやうの人々の、その物語かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。いみじく心もとなきままに、等身(とうしん)に薬師仏(やくしぼとけ)を造りて、手洗ひなどして、人まにみそかに入りつつ、「京(きやう)にとく上げたまひて、物語の多くさぶらふなる、あるかぎり見せたまへ」と、身を捨てて額(ぬか)をつき祈り申すほどに、十三になる年、上らむとて、九月(ながつき)三日門出(かどで)して、いまたちといふ所にうつる。
年ごろ遊び馴れつる所を、あらはにこほち散らして、たち騒ぎて、日の入り際(ぎは)のいとすごく霧(き)りわたりたるに、車に乗るとてうち見やりたれば、人まには参りつつ額(ぬか)をつきし薬師仏の立ちたまへるを、見捨てたてまつる悲しくて、人知れずうち泣かれぬ。
[一、物語に憧れる日々より]
※本稿は『胸はしる 更級日記』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
『胸はしる 更級日記』(著:小迎裕美子/KADOKAWA)
夢見る少女時代から、後悔と懺悔の日々の晩年までを綴った平安女子の回想録
『源氏物語』にあこがれて、キラキラとしたヲタ活に勤しんだ10代から、大人になるにつれ経験していく、大切な人の死、仕事、結婚、家族などの現実、そして後悔と懺悔の日々を送る晩年までを綴った、菅原孝標女の『更級日記』。この名著を、人気イラストレーター小迎裕美子がユーモアたっぷりに描く。