見返りを求めない立派な人だからこそ成立している
洋の東西を問わず、男性は自らの伴侶に実母の面影を重ねると言われるけれど、息子の帰省の度に3種類ものケーキを焼き、Tシャツや食器用の布巾にまでアイロンをかけるほどの、画に描いたような良妻賢母である義母に倣うことなど端から求められておらず、世界で最も過酷な労働を余儀なくされるオーケストラに所属しているにもかかわらず、私が洗濯機に入れたまま忘れた洗濯物を干しておいてくれたり、いつの間にかゴミ出しをしてくれる上、見返りを求めない立派な人だからこそ成立している関係である。
思えば、フランスにいる友人のベルトラン・シャマユ氏も、世界中から引く手数多(あまた)のピアニストであるにもかかわらず、指を切ってしまうリスクも恐れずに料理を担当し、妻の*は夫がキッチンにて食事の支度をしている間、手助けをすることもなくソファーにふんぞり返ってニュース番組を観ており、こちらが冷や冷やしたくらいだったけれど、それを咎める者は誰一人としておらず、ベルトラン自身も才覚溢れる妻のために美味しい料理を振る舞うことを誇りとしているようだった。
これまで私が演じてきた作品の中でも、男性が洗濯物を取り込んだり、畳んだりするシーンがコミカルに描かれることが度々あった。しかし、よく考えてみると、「男性は洗濯などするものではない」という前提があってこそ笑えるもので、そうしたシーンで笑えるうちは、女性の解放とはほど遠いというジレンマを抱えている。