挙式も披露宴もなし
この度の結婚は、一時の気持ちの盛り上がりだけでロマンチックな決断をしたというよりは、現実を慎重に見つめ、アドバンテージとディスアドバンテージを真剣に考えて共に老いていく覚悟を決めたのであり、山歩きと同様に、険しき道も急勾配も共に協調し合いつつ、お互いの自由を尊重しながら歩んで行くつもりである。
仕事で何度も袖を通した経験があるためか、自分でも驚くほどにウェディングドレスや白無垢への憧れがなく、披露宴でわざわざ高砂(たかさご)に座らされて列席者から注目を浴びるなどもってのほかで、挙式も披露宴もなしとした。
夫は当初それを少々寂しく思っていたようだけれど、お互いに友人知人が世界中に散らばっているため、宿泊費をこちらが負担するとなると莫大な金額になること、日本の結婚式では、ドレスコード、披露宴の式次第に、引き出物など、欧州の常識では理解できないほど自由度のないしきたりが存在することなどを伝えると、いかに面倒なことであるか納得してくれたのだった。友人知人には、「ノーギャラで結婚式の主役を演じることは割に合わない」と言って煙に巻いた。
もちろん、私のような女性は少数派で、経済の発展のためにも、結婚を控える方々にはためらうことなく、挙式、披露宴をしていただきたいけれど。
白洲次郎さん曰く、「夫婦円満の秘訣は一緒にいないこと」だそうで、夫は世界中を旅して回り、私は仕事の度にオーストリアから日本に戻るというスタイルも、我ながら理想の結婚生活なのではないかと思っている。
※本稿は、『文はやりたし』(幻冬舎文庫)の一部を再編集したものです。
『文はやりたし』(著:中谷美紀/幻冬舎文庫)
ご縁あってドイツ人男性と結婚して始まった二拠点生活。一年の半分は日本でドラマや映画の撮影に勤しみ、残りはオーストリアで暮らしを楽しむ。肝試し代わりにタクシー運転手にドイツ語で話しかけたり、サイクリングやコンサートを楽しんだり。夏は自然に囲まれた山荘で、料理や庭造りにご近所付き合い。不便だけれど自由な日々を綴ったエッセイ。