道長の権勢が頂点に

今回のドラマでは、ついに三条天皇が譲位を決意。それに伴い長和五(1017年)に御一条天皇が即位しました。

摂政となった道長は実質的に国家のトップに、娘の彰子は国母となります。

その後の寛仁元年(1017年)、道長の後に摂政の座に就いた頼通は妹・威子に入内を迫ります。その場では反対した威子でしたが、翌年春に入内することに。

さらに三条院(譲位後の三条天皇)がこの世を去り、敦明が東宮を降りると、代わりに道長の孫で帝の弟・敦良親王が東宮に。

その1年後の寛仁2年(1018年)、彰子が太皇太后、妍子が皇太后、威子が中宮に任じられ、道長の娘たちが3つの后の地位を独占。いよいよその権勢は頂点に達します。

しかし威子が中宮になったことを祝う宴で、道長が祝いの言葉を述べると、娘たちは一様に冷たい態度を見せます。仏頂面の妍子にいたっては「父上と兄上以外、めでたいと思っている者はおりませぬ」と辛辣に言い放つ始末。