外務省の医務官となり

私は高校時代に「小説家になりたい」と思い立ちました。わが家は医者の家系で、私も幼少期から医者になるつもりだったので悩みましたが、父に「作家もいいが、すぐに飯は食えないだろうから、まずは医者になったらどうか」と助言され、医学部へ進んだのです。外科と麻酔科で研修後、がんの終末期医療に関わりました。

当時は患者本人にがん告知をしない時代。苦しい治療の末に命が失われていく現場に疲弊し、数年後には私自身がノイローゼ状態になりました。そんなとき偶然「外務省の医務官募集」を知り、逃げるように応募したのです。

サウジアラビア、オーストリア、パプアニューギニアで合計9年間を過ごし、42歳で帰国した私は、小説を書く時間を確保したい思いもあって、デイサービス併設のクリニックに勤め始めました。

そこから6年、作品を書き続け、48歳でようやく作家デビュー。一方で、日々たくさんの高齢者に接し、老いるとはどういうことかを知りました。

腰が痛い、足が痛いと次々出てくる体の不調に悩み、「こんな体になるとは思わなかった」と嘆く人は多かったですが、不自由があっても「年とったらこんなもんですわ」と笑顔で過ごす人も少なからずいました。

彼らは、老いとともに心身に起こることを前もって認識できていて、いざ自らに起きても、慌てず受け入れていたのです。

私の父もそんな一人でした。歩きづらくなってきたとき、「順調に年をとっているな」と笑い、「飛行機はいつまでも高く飛んでいたら墜落するしかない。徐々に高度を下げるからソフトランディングできるんだよ」と言いました。

一方、母はプライドが高く、最期までオムツを嫌がって。尿漏れパッドで凌いでみても「もったいない」と、少しの汚れでは替えない。漏れたにおいを指摘され、さらにプライドが傷ついて落ち込むこともあったようです。杖も嫌がって、「杖を使うくらいなら家でじっとしていたい」とも言っていました。

 

『人はどう悩むのか』(著:久坂部羊/講談社現代新書)