宴会の主役は道長ではなく…

ところで『御堂関白記』を見ていると面白い言葉が出てきます。それは「御倚子」です。

倚子とは要するにイスのことで、土御門第の寝殿(屋敷の主人が暮らす正殿)に置かれていたようです。

この倚子に誰が座ったのかは明記されていないのですが、少し後には、この倚子が片づけられた後が「昼御座(ひるのおまし)」になったとしています。

昼御座とは本来は宮中の清涼殿に設けられた、天皇が日中にいる座のことです。しかしこの時は、後一条天皇は母の太皇太后となった彰子とともに内裏にいるのです。

とすれば御倚子に座れるのはただ一人、新中宮の威子以外にはありえません。この宴会の主役は道長ではなく、威子なのですから。

威子は寝殿の中央に置かれたイスに座って(おそらくカーテンなどで囲われた中から)、貴族たちの宴会を見下ろしていたのでしょう。

つまりこの宴会は(当たり前のことですが)、新中宮威子のお披露目であり、この時道長は、土御門第の正殿を娘に明け渡していたのです。