登場人物たちが勝手にしゃべり始める

―――節子妃は、政府や宮中の思惑どおり4人の皇子を出産、皇統を盤石にした。しかし、どの子も生まれてすぐに節子妃のもとを離され、親子で生活することはできなかった。新婚生活も必ずしも円満ではなかったようで、そのあたりの人間くさい節子妃の姿が、林さんの手によって生き生きと詰めこまれている。

お輿入れしてすぐの冬に、東京に雪が降り、赤坂の東宮御所も真っ白の雪景色になったんです。そこで、節子は女官たちを相手に雪合戦をする様子を描きました。まだ15歳。しかも4歳までは広々とした大地を駆け回っていた節子ですから、きっと無邪気に楽しんだと思うのです。

私たち作家には、資料を読み込んでいく中で、できるだけ面白そうな事実を拾い出して、そこからどんどん広げていくという役割があります。だから「豪農に預けられた」という事実から、想像力で膨らませていく。そうすると、登場人物たちが勝手にしゃべり始めてくれます。このシーンの節子はまさにそうです。

また節子は、ほかの華族と違って、幼いころに預けられた家庭で愛情をたっぷり注いでもらって育ったので、人に対しても愛情深く、おおらかだったと思われます。

そんな節子が夫である皇太子と心が通わないという苦悩を抱く…。さぞかし心細かったことでしょう。生まれたばかりの息子とも次々に引き離されて暮らすことを余儀なくされた節子は少しずつ病んでいくのですが、いったいどうやって自分を取り戻していくのか。そこに登場するのが下田歌子なんです。

―――下田歌子は、林さんの1990年の小説『ミカドの淑女(おんな)』の主人公。幼いころから神童の誉れ高く、明治から大正にかけて活躍した女子教育の先駆者で、明治天皇や昭憲皇后のおぼえめでたく、学習院の教授にも就任していた。 後に、その美しさと行動力からスキャンダルの標的となり「妖婦」のレッテルを貼られ、人間関係の乱れをセンセーショナルに報じられるが、女子教育の現場には立ち続けた人物である。

『ミカドの淑女』表紙(著:林真理子/KADOKAWA)
明治の宮廷を襲った一大スキャンダルの真相を暴く、著者初の歴史小説『ミカドの淑女』(著:林真理子/KADOKAWA)

『ミカドの淑女』で描いた下田歌子は、いわば私の「よく知ってる人」。資料から、歌子が何度も貞明皇后と会っていることは知っていました。だから今回、よく知っている下田歌子と貞明皇后の会話を中心に書けばいいんじゃないかと思いついたんです。

でも、たぶん節子は最初は下田歌子を嫌ってたと思いますよ。だって婚礼の日に歌子は新聞に「ことさら美しい方ではないけれど、未来の国母としていささかも欠点がない」つまり「子どもを産むには申し分ない」などという記事を寄せていたんです。失礼ですよね。今なら許されないでしょう。(笑)

しかも、歌子は明治天皇の后である昭憲皇后と仲がいいわけです。姑と仲がいい人なんて、嫁としては煙たい存在に決まってますよね。

でも、節子が自分を失いそうになったときに歌子がかけた言葉が、節子に強靭な心を取り戻させます。大正時代になってからの貞明皇后の活躍は、歴史が証明していますね。 

大正時代ってたった15年しかないけれど、とっても面白い時代なんですよ。明治から大正にかけては、和洋の文化が混在していました。日本が大きく変わって、西洋の影響を受けながら近代化への道をたどっていく、その先頭に立たざるを得ないのが皇室なんです。それまで「おすべらかし」だったのに、急に洋装になって、ヒールを履かなきゃならない。これは、かなりしんどいことですよ。西洋を礼賛していた明治天皇の后である昭憲皇后も本当にがんばったと思います。昨日まで着物ですべてを隠していたのに、急にノースリーブですよ! いきなりこの二の腕を出せと言われるなんて、私もいやです。(笑)