林真理子さん
(撮影◎本社 武田裕介)
作家の林真理子さんが、待望の新刊『皇后は闘うことにした』(文藝春秋)を上梓。各方面から注目を浴びている。表題のほか、「綸言汗の如し」「徳川慶喜家の嫁」「兄弟の花嫁たち」「母より」と全部で5編が収められた単行本出版は、前作『李王家の縁談』から2年ぶりだという。
日本大学に初の女性理事長として就任したのは2022年7月。限られた連載を残し、大幅に仕事を絞った。「あまりの忙しさに全く小説を書けていなかった」という林さんに、この作品への思いを聴いた。
(構成◎吉田明美 撮影◎本社 武田裕介)

主人公は、大正天皇のお后、貞明皇后

―――『皇后は闘うことにした』は、やや意味深なタイトルだが、主人公は、大正天皇のお后、貞明皇后。ハンセン病の予防など多くの福祉事業や、蚕糸業(絹糸)奨励などに尽力したとして知られている。

「闘う皇后」とか「皇后の決断」じゃつまんないし、『成瀬は天下を取りにいく』も受けてるから、そのへんを狙ってみたタイトルです(笑)。 おや?と思ってもらえるとうれしいです。

貞明皇后、もとは九条節子(さだこ)というお名前ですが、資料を読んでいるうちにどんどんのめりこんでいきました。知れば知るほど面白いんですよ。

明治天皇には側室が何人もいらして、お子様は15人もお生まれになったんだけど、成人した男子はきゃしゃでひ弱な第3皇子の嘉仁さまだけだったんです。それだけにお后選びは、大変だったと思う。美しいだけではだめ、ちゃんとお子さんをお産みになる方でなければ、という思いから選ばれたのが節子だったんです。

節子は、生まれてすぐ、今の高円寺あたりの豪農に預けられて、4歳まで伸び伸びと野山を駆け回りながら育ちます。その後九条家に戻って15歳で皇太子に嫁ぐわけです。活発で賢い方だったようではありますが、「九条の黒姫さま」と呼ばれるほど色黒だったという記録もあり、当時の日本の「色白の卵に目鼻」という美人の基準からは外れていたかもしれません。