毎日が楽しくてしょうがなかった
この「皇后は闘うことにした」と「母より」の2編を加えて、今回の単行本が出版された。これは林さんにとって、ある意味、リハビリだったようである。
日大の理事長職を受けてから本当に忙しくて、小説を書く時間はまったくとれていませんでした。でもある時、ふと思ったんです。「このまま書けなくなっちゃうんじゃないか」「私は忘れられちゃうんじゃないか」って…。作家って、職人みたいなもんですから、書いてないと腕が鈍るんです。私はパソコンを使わず、文字通り右腕一本で書いてますから、腕が鈍ると本当に書けなくなるのではという恐怖が出てきました。
そんなときに、2年前の『李王家の縁談』を書いたときのスピンオフとして何本か書いていて、塩漬けになっている作品があることがわかった。「そこにあと2本足せば本ができますよ」と編集者に発破をかけられて、おそるおそるとりかかってみたんです。
2年も書いていないから、勘を取り戻すのが大変だろうと思っていたんですが、書き始めてみたら筆がすいすい進む! これはうれしかったですね。 ゴールデンウィークと夏休みを使って書いたのですが、毎日が楽しくてしょうがなかった。「乗って書ける」という感覚を取り戻せたのはとても幸せなことです。いつの間にかこの時代の皇族たちが私に乗り移ってくる。お上品なふるまいだったり、けっこうぞんざいな口をきいてみたり、どんどん憑依してくるので、時には書く手が追い付かないほどでした。今回のこの一冊は、まだまだ小説を書いていていいんだ、と、改めて私に自信を与えてくれました。
―――2022年7月、日本最大の規模を誇る日本大学の理事長に女性として初めて就任。前理事長の脱税事件や元理事らによる背任事件を受け、その動向に注目が集まった。
日大OBである私に「理事長に」とお声がかかったときに、面白そうだなとは思いましたよ。でも決して軽い気持ちで受けたわけじゃない。やるからには本気でやらないと、と覚悟を決めました。
とにかく大変なときに、古い体質の組織に入っていかなきゃならない。迎える側もおっかなびっくりだっただろうし、私も探り探りでしたね。やっぱり大変でした。派閥だのなんだのという、そんな単純なことじゃないんですよ。いろいろなことに好き勝手に手を付けることもできなかった。どう頑張ればいいんだろうと考えても、妙案なんてないんです。一人ひとりと地道に仲良くしていくしかない。みなさんと協力しながら、そして教えてもらいながら、いろいろなことを実行していかなきゃと思い、まずは、教育をテーマにした自分の作品『小説8050』を450冊買って、サインして手紙もつけて、全員に配りました。「皆さん私のことを知らないと思うから、読んでくださいね」ってお願いしたんです。
2年半経って、おかげさまで今は人事もうまくいって、意思が通じる組織になってきました。私は、どちらかというと調整型のリーダー。エンジン01(各分野のエキスパートが集まるボランティア集団)の、あの超個性的な250人を幹事長としてまとめてきた経験があるので、まだまだいけそうです。(笑)