子どもに、なにひとつ罪はないのだ。坊やは「大きいおねえちゃん、小さいおねえちゃん」とすぐに娘たちに懐いた。

時折持ち上がる嫉妬が心を揺さぶることはあったが、3人が枕を並べて眠る姿を見ていると、女である前に私は子どもの親なのだ、と自分を戒めずにはいられなかった。

こんなにかわいいさかりのわが子を、他人に託した女性の気持ちを思ったりもしたが、のちに、彼女はほかの男性と結婚するため、夫に子どもを託したのだと知った。というのも息子と正式に縁組をする際、私はたった一度、彼女と会ったのである。

その後、私たちは20年以上暮らした土地を離れた。新しい土地は馴染むまでに苦労するものだが、移った先でも靴店を営み、多くのお客様や友人に支えてもらった。

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時は流れ、私はいま90歳になった。娘たちも還暦をとうに過ぎ、それぞれが子どもと孫に囲まれている。息子は優しく、立派な男性に育った。夫が75歳で他界したあと、私が83歳になって肩を痛めるまで、一緒に店を切り盛りしてくれた。

息子は戸籍を取り寄せたときにはじめて、自分と私の間に血縁がないことを知ったという。ただそのことはきょうだい同士で話しただけで、私にはいまだなにも言わない。

むしろ自分は私の連れ子で、父親が違うとばかり思っていた、と娘に話したらしく、それを聞いたときは不思議と安堵した。

店は畳んだが、孫やひ孫に囲まれ、いまが一番幸せな時間のように感じる。この日々に感謝していると、あの頃の悲しみがまるで嘘のようである。