木久扇から見たコント55号

― 師匠から見て、コント55号の芸はどうでしたか。

 よくテレビ中継の時に舞台の中央にテープがバツ印に貼ってありますよね。それとテレビの枠から出ないようにっていう決まりがありましたが、コント55号は舞台を走り回る。

もともと歌手志望で青木光一さんの鞄持ちをされていた坂上二郎さん<『木久扇の昭和芸能史』より>

― 当時としては、かなり斬新ですよね。カメラが追って、それこそ大変で。

 萩本さんと話をしたら、枠を気にしていると面白さがないから、わざとはみ出しちゃって、それで認めてもらったとおっしゃってました。

― 枠をはみ出すことで、今までできなかった「笑い」が生まれたわけですね。カメラの方が追っかけるという。

 前は枠が決まっていて、その中でコメディをやっていたのを、それを初めて破っちゃった人たちなんです。なんでそういうことをしていたかっていうと、コメディアンはギャラが安かったから、なんとか引き上げようというか、高く取ってやろうって燃えているものがあって、テレビ局の言うことを聞かなかったって言ってましたね。それでやっぱり出演料は高くなったらしいです。人気が出てきてね。萩本欽一、あの人、高視聴率男でね。

― 100パーセント男だから(笑)。

 そうでした。それになったからテレビ局がいくらでも積んでくれて。出てくれって言われて。いろいろとテレビの常識をひっくり返した人でした。

― 今、文化人のほうがギャラが安くて、むしろ芸人さんのほうが高くなったらしいですね。

 そうらしいです。全体的に高くなりました。萩本さんたちの尽力も大きいと思いますよ。