2024年3月、初期からレギュラーを務めてきた人気番組『笑点』を卒業した落語家・林家木久扇さん。55年続けた『笑点』勇退を機に、落語家・林家たけ平さんは、落語界の重鎮である木久扇さんがこれまで見てきた昭和の芸能についてインタビューを行いました。今回は、その様子をまとめた書籍『木久扇の昭和芸能史』から「コント55号」についてお届けします。
コント55号
― コント55号というのは師匠、同世代ですよね。萩本欽一さんの方が師匠よりも少し年齢は下ですけど。
K 三つ違いですね。でもあの人は全然早く有名になりましたけども。ついこないだお会いしたばかりです。
― どういう関係でお会いしたんですか?
K 欽ちゃんもぼくも元々本を出してて、そういう絡みで。ぼくが「バカの遺言」(扶桑社)で萩本さんが「マヌケのすすめ」(ダイヤモンド社)を出されて。直接お目にかかったことがないって言ったら、じゃあ対談はどうですかっていう話になって。で、三軒茶屋の萩本さんのビルで。すごいビル。びっくりしちゃった。
― 今まで一度も絡みがなかったのが意外です!
K ぼくとしては遠くで見ていた感じです。坂上二郎さんにはいっぺん、銀座でご馳走になりましたけど。
― 坂上さんとはお付き合いがあったんですか。
K ぼくが坂上さんのことを書いた本があるんですよ(「素敵なにっぽん芸人譚」白帝社)。で、坂上さんが「ぼくはあまり活字になったことがないんだよ。書いてくれた方が師匠だからほんとに嬉しかった」って。
― たしかにあまり見かけませんね。やはり、自分の事を注目してくれるって、舞台人は嬉しいものです。
K 坂上さん、歌がうまいんですよ。岡晴夫さんが好きで。オカッパルの歌、お上手なんですよ。
― 青木光一さんの鞄持ちをされていたんですよね。
K そうそう。なかなか厳しい修業だったみたいですね。