歌丸師匠の生い立ち

― あと、歌丸師匠といえば横浜ですね。

 歌丸さんは生まれが横浜の真金町(まがねちょう)というところで、横浜っ子で、すごい横浜愛が強い方でしたね。病床なのに、にぎわい座の館長も最後までされたりして。真金町は東京で言えば下町みたいなところで、大変大衆的な町なんです。そこでご家業が変わってまして、お茶屋っていう職業だったんです。

『木久扇の昭和芸能史』(著:林家木久扇、林家たけ平/草思社)

― それは何でしょうか?

 女の子を紹介する、そういう特殊な職業だったんですね。

― 遊郭ではなく、女の子を紹介するだけの職業ですか?

 そうだったのか……、小さい旅館みたいな形式です。戦後はずいぶんアメリカ兵がやってきて、歌丸さんのおばあちゃんが日本の女の子を紹介していたんです。だからチョコレートやチューインガムやキャメルなんかの珍しい煙草が手に入るんで、おばあちゃんがよくくれたらしいんですよ。そういうおばあちゃんだから手廻しがよくて、学校の担任の先生にもガムやチョコレートをとどけていたので、歌丸さんの扱いがすごいよかったらしいんですよ。

― そういう優遇のされ方があった時代なんですね(笑)。

 歌丸さんは両親の話はほとんどしなかったですが、おばあちゃんっ子だったんです。

― 木久扇師匠と同じですね。