歌丸師匠の助言

 あとこないだ亡くなった六代目(三遊亭)圓楽さんも、「笑点」に入った頃、なかなかキャラがなかったんですよ。そこで生意気、腹黒っていうキャラを作ったのは歌丸さんなんです。ぼくの悪口を言いなさいって。「やるか、ジジイ」とかね。それで売り出したんだけど、あれは歌丸さんのアイデアなんです。

― お優しいんですね。

 そう。二代目の三平さんが入った時も、キャラが立ってないし、うろたえるんですよ。

― 大ベテランの中に入るわけですから余計に、緊張しますしね。

 するといつも歌丸さんが「焦らなくても、一生懸命にやっているうちに、自分の面白さが出てくるよ」って。三平さんはずいぶんその言葉に救われたって言ってましたね。

― 昔と違い、SNSやテレビの投票で、簡単につまらないって言われる時代になってしまいましたから。

 芸人は蔑視されやすい職業だしね。笑いを作っているので、くだらないって言われると、どうしようもないですしね。例えばぼくも大喜利ではおバカキャラで売ってたけど、本心からバカをやっているわけじゃないんで。

※本稿は、『木久扇の昭和芸能史』(草思社)の一部を再編集したものです。

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